「食の多元的意味」を考えるシンポジウム その2
シンポジウム後半のメモ。
摂食障害当事者で食育ワークショップなどの活動をされている、「みせす」さんこと金子浩子さん。
“糖尿病は、からだが食べられない/摂食障害は、こころが食べられない”
とみごとなまとめ!
金子さんのやっている、摂食障害当事者が料理を作って食べるワークショップを知って気になって、でも行けなかったことがあります。
人と一緒に食べるのが苦手ながらも普段はまあまあ過ごせるけど、当事者同士だといろいろ分かっているぶん余計に気をつかうと思ってしまって。
でも当事者同士なら共食も大丈夫、という人もいるのかな。
そして文化人類学者の磯野真穂さんの講演。
著書『なぜふつうに食べられないのか』が面白かったので楽しみでした。
まず文化人類学の視点で、人間のいろんな社会集団でおこなわれる「食べること」の意味が語られます。
人は6歳くらいで「ふつうに食べられる」ようになる→子どもでもできることが途中でできなくなるのはなぜか?
それはハビトゥスが失われるから、と磯野さんは言います。
ハビトゥスは、習慣によって「何をどのくらいどう食べるか」分かること。あたりまえに繰り返すことで身体化できるもの。
ところがハビトゥスを壊すことは簡単で、すべての要素を分解・数値化し、「正しい食べ方」を過剰に意識するだけで、あたりまえにできていたことができなくなる。
食の規範やマイルールが厳しくなり、食べ物はおいしさを失って物体になっていく。
それは自分の身体やハビトゥスを通じた社会とのつながりが希薄になることでもある。
本当に、子どもの頃ふつうに食べていたのが不思議でならない…
自分を含めた人間社会を観察する文化人類学の視点では、摂食障害もひとつの面白い対象に見えるのでとても心地いいです。
シンポジウムには栄養士さんや医療者の方など専門家も多かったようだし、他の人がどう思ってるのかちょっと気になりました。
近くの人と少し考えをシェアする時間があってもよかったかも。
あと、終了後の昼食懇親会に勢いあまって申し込んだものの、食事風景をシミュレーションしてどんどんナーバスになっていたら、最後に「悪天候のため中止です」と。
最初に言ってくれてたら…!
中止でほっとしてしまいました。いやはや。
とにかく、行ってよかったです。
9/30「食の多元的意味」を考えるシンポジウム
面白そうだなと思って申し込んでおいたシンポジウム、台風接近の中、行ってきました。
糖尿病と摂食障害をともに「意味づけられた〈食〉」として同じ場で語るという試みが新鮮。
糖尿病を生活習慣病と呼び、個人の努力によってコントロール可能であるとする考え方は20年くらい前から広まったらしい。
糖尿病も1型と2型とで悩みはずいぶん違う。
自分が共感しやすいのは、自己責任と思われがちの2型の方で。
でも1型の人が、子供の頃から食を親にコントロールされていたのに気付いて大人になってから食の経験を取り戻そうと思ったという話にはぐっときた。
2型糖尿病の人は、診断を受けてからストイック過ぎるくらい糖質制限をして、食べたい欲求と闘ってきたけど仕事が変わったストレスでリバウンドしてしまった。
「メンタルが平穏でないと糖質制限を続けられない」と。
糖尿病(特に2型)は、正直な身体を相手にし続け、医療者に観察され続ける。
普通に食べるという形式の中で欲求を常にコントロールしなければいけないし、正しい食べ方をしたかどうかが後から数値で知られてしまう。
後からしか分からない。自分では分からない。これは耐えがたい気がする。
今すぐなんとかしたいし、自分で把握したい。
摂食障害だと、食べ過ぎたら吐くとか拒食とか下剤とか、欲求(歪んでたとしても)のままにすぐさま身体のほうの辻褄を合わせていて、ずるいのである。
そして待つことができない。
本当は、ここで自分が当事者だからといって「摂食障害の人は〇〇だ」と書くべきじゃない。
私の摂食障害はこう、というところまでしか言えない。
それはシンポジウム後半の摂食障害の話を聞いて思ったことでした。
まだ頭を整理できていないので、今日はここまで。
第3回ミーティング(という名の読書タイム)
おととい、土曜日の午前中に設定したミーティングは…私以外の参加者ゼロでした!
でもショックというよりは、そりゃそうだよねーというか、
自助グループあるある(誰も来ないのも覚悟すべし)を一つ経験できたということで。
むしろ今まで来てもらえてたのが奇跡だったのでは。
こんな部屋でした。18人席がせつないのでせめて明るく加工。
隣の部屋ではカリグラフィー教室のマダムたちの、向こうの部屋ではママの会の活動が行われていました。
誰か来るかも、いやもう来ないか、と思いながら静かな会議室で本を読むのはけっこういい時間でした。
食べ物のない少し緊張感のある環境に2時間ちゃんと居続けることができたという、ひそか過ぎる達成感。。
もちろん、誰か来てくれたらいちばん嬉しいのですが。
ということで、懲りずに来月もやります!
[日時]2018年10月20日(土)18:00~20:00
[場所]多摩平交流センター集会室3‐3
よろしければぜひ。お待ちしてます。
第2回ミーティング報告と次回のこと
先週、2回目のミーティングでした。
お一人の参加者の方と、色々おしゃべりしました。
自助グループをやる意味があるんだろうか?というような話もしました。
摂食障害の治り方は人によってばらばらで、自助グループに行かなくてもいい人もいるし、参加してぴったりはまる人もいる。
いろんなグループがあるから、勇気を出して参加しても合わないこともある。
合わなくても仕方ない。かえってストレスになるかもしれない。
でも少しだけ楽になったりするといいなとは思います。
自分で自助グループに行ったことは2回くらいしかありません。
すごく癒されたこともあったけど、そのときも帰ったら過食嘔吐していたし(というか今もずっとだけど)。
人と会うのはストレスなのに何かを求めて行っていたんだろうな。そして今も。
結局、ミーティングに来てくれる人のためなんて全然思っていなくて、自分のためにやっているんだなぁと再確認しました…
また来月も予定しています!
[日時]2018年9月22日(土)10:00~12:00
[場所]多摩平交流センター 集会室3‐1
今度は土曜日の午前中にしてみました。
よろしくお願いします。
第2回ミーティング
こんにちは。
夏休みの間、ひさしぶりに小説を読みました。
『蜜蜂』(マヤ・ルンデ作)という本です。
蜜蜂が絶滅してしまって農作物が受粉できず、食料危機で荒廃した近未来が描かれています。
実際に近年起こっている蜜蜂の大量死がネタになっていて、妙なリアリティがありました。
自分の病気は飽食の時代のせいだ、と思うことがあります。
食べものがない世の中になったら、摂食障害はなくなるでしょうか?
豪雨や地震といった災害のとき避難所の様子をテレビで見ると、この中に摂食障害の人がどれだけいるだろうかと思ったりします。
突然食糧難の状態に置かれて、突然治るということはないだろう。辛いんじゃないか。そうなったらどうしよう。と考えてしまいます。
前置きが長くなりました。。
今月のミーティング詳細です。
[日時]2018年8月23日(木)18:00~20:00
[場所]多摩平交流センター 集会室4(最寄り駅:JR豊田)
[会費]100円
(前回は無料としていましたが、今回から会場使用料のため会費を設定させていただきます。変更申し訳ありません。)
☆摂食障害当事者が経験や悩みを話し、聞き合う場です。
☆途中入退出可です。
☆食べものの持ち込みはご遠慮ください。飲み物はOK!
お気軽にご参加下さい。お待ちしています!